2018年10月11日木曜日

(20)火線に散る ~より、「血染めの握り飯」

「火線に散る」(昭和7年)から「血染めの握り飯」

作者の伊地知進大尉は、作家活動をしながら陸軍士官学校を出たというインテリで、2度直木賞候補にもなっています。
そんな伊地知大尉が2か月出征した第一次上海事変の個人的な手記。個人の手記という割に文体がプロみたいだし推薦文もいっぱいあるし…と思っていたら、本当にプロの作家さんだったんですね。
そう考えると、最前線の場面も本人が直接見たのではなく伝聞も多く含まれているのかもしれません。



ただこの本の好きなところは、登場人物が有名人ではない一兵卒であること。他の本ではとりあげられなかった兵隊の雄姿が記されています。
ちなみに第一次上海事変と言えば爆弾三勇士が有名で、彼らもまた亡くなるまでは一般の兵隊でした。伊地知大尉が出兵された時にはすでに爆弾三勇士は有名になっており、この本でも日本人なら誰しも彼らを知っている事を前提に話がはじまっています。

そんな本の中から、「世界に響く血染めの握り飯」今泉喇叭手(写真3枚目)をご紹介。

作戦中に飲み水が枯渇する中、乾パンばかりで辛い思いをしていた前線の隊員たちは口々に握り飯を食いたい、水分を含んだ食べ物を食いたい、ともらすようになります。
民家より中継基地まで俵いっぱいの握り飯を手に入れてきたものの、前線へ持って行くすべがない。そこで立候補したのがIラッパ手。俵を背負い、砲弾をかいくぐり、いざ最前線の壕へ着こうとしたその時!とうとう撃たれてしまいました。
前線の兵士たちはIラッパ手と俵を壕へ引きずりおろすも、Iラッパ手は命の灯を消してしまうのでした。そして俵の握り飯もまた、Iラッパ手の流す血に染まり…。
隊員たちは、Iラッパ手が命がけで運んできた血に染まった握り飯を、涙ながらに食らうのでした。

おしまい

て、まずグラビアには「今泉喇叭手」と書いて写真まであるのに、どうして本文ではI喇叭手と伏字にされているのでしょう。
また、そんなに都合よく民家に俵いっぱいの握り飯が準備されているものなのでしょうか?

とまぁ、色々疑問はあるものの、ここは皆のためにみずからの命を顧みず活躍した若者の話と読んでおきたいと思います。

この本は割と好きなのでまた分割してご紹介していきます。

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(64) 訓蒙開智・第2/生徒の革提

「訓蒙開智・第2/生徒の革提 」明治24 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1919205 明記されていないのでサイン識別になりますが、月耕の門下生だった小川耕一さんの挿絵ではないかと思われます。